basyou_matsuo’s blog

行きかふ年もまた旅人也

ジャカルタ空港の入国審官が威圧的だった件

先日、ジャカルタ空港の入国審査でとても威圧的な男性の審査官に出くわした。

ジャカルタの外国人の入国審査では、他の国と違い、比較的いろいろ聞かれるのは経験的にわかっていたが、今回は物凄く高圧的に聞かれた。最初は疑問文だったが、後半は有無を言わさず断定でたたみかけてくる。英語が堪能なわけではないので慌てたが、腹を立てないことと、余計なことを言わないことだけを心掛けた。

(官):ジャカルタに何日いる?

(私):4日。

(官):ジャカルタで何をする?

(私):観光。

(官):ジャカルタのどこで何をする?具体的に言え。

(私):サワブサールのホテルに泊まって、コタを観光する。

(官):観光目的の旅行者にしては詳しいから、やはり仕事だろう?

(私):ジャカルタが好きで何回も来ている。仕事ではない。

(官):先月も先々月も来ている。本当は何をしている?

(私):観光、食事、ホテル滞在を楽しむ。

 (官):仕事ではないのか?仕事ならVISAが必要だ。

(私):仕事ではない。

(官):仕事ではないなら目的は何か?

(私):観光。

(官):誰かに合うのか?

(私):誰かに会う予定はない。

(官):もし仕事なのにVISAがないのは罪になる。刑務所に入ることになる。

(私):2015年に30日以内の観光目的であれば、入国ビザの取得が免除されるというインドネシアの大統領令が発布されて日本人にも適用される。観光目的だからVISAは不要だ。

(官):それは事実だが、仕事が目的ならVISAは必要だ。

(私):観光目的だ。

これで、無事パスポートにスタンプが押された。パスポートは投げ返されたけど。。。すぐに、パスポートに入国のスタンプが押印されて日付が正しいことを確認したが、問題はなさそうだった。事前に在インドネシア日本国大使館のホームページで「インドネシアへの入国・滞在」を読んでおいてよかった(領事関連情報)。

「in prison」など英語のニュース番組でしか耳にしない単語を聞いて焦った。

若い頃はアメリカ東海岸一辺倒だった件

若い頃は海外旅行というとアメリカ東海岸一辺倒だった。特にアメリカ東海岸に集中して遊びに行った。シカゴ、ボストン、ワシントンD.Cからニューヨーク。フィラデルフィアボルティモアに二泊くらいしてから、ニューヨークというのも多かった。

今考えても何故、アメリカの、しかも東海岸、しかもニューヨークばかり行っていたのか理由がわからない。物価が高く、普通レベルのホテルですら気が狂ったように高い割に酷いところしかなく、食べ物もおいしくない。たいして英語が話せる訳でもなく、白人ではないが故の差別を受けて落ち込んみ、何が良かったんだろうか。何故、何十回となく足を運んだんだろう。

結局のところ飛行機に乗るのが楽しかったのかもしれない。概ね13時間飛行機に缶詰にされて、映画を3本も4本も見て、機内食を3回食べ、綺麗なCAさんとお話をして、SKYWARDや翼の王国を読み、マイルが貯まっていくことに満足していたようなものだった。

ところで昔の日本の航空会社のアップグレードはイカしていた。NRT-JFKのエコノミークラスの正規割引運賃の値段は、若干記憶が怪しいが10万円くらいだったはず。今のANAだとValueJALだとEconomy Saverといったところか。昔はJALだと『JAL悟空』とか言ってた。そして、今とは違い、どのクラスの正規割引運賃でも、50,000マイルでビジネスクラスにアップグレードできたのだ。

そして、当時は、まだ上級会員も少なかったので、エコノミーのチケットを購入していても、比較的インボラが多かった。インボラで一番シビれたのは、ANAでワシントンD.Cに行ったとき。私は、その生涯で一度だけビジネスクラスのチケットをお金を出して購入したのがその時だった。10月に思い立ってニューヨークに行こうと考えたが、年末・年始のニューヨーク線はどの航空会社も満席。空席があったところで高価だったが、何気なくANAビジネスクラスの正規割引運賃を見たら、ニューヨーク行きは満席だったが、ワシントンD.C行きは空席があった。確か値段は500,000円だったか、490,000円だった。今考えると恐ろしいが、この時、エコノミーのチケットが取れなかった私にとって、500,000円は決して高くは感じなかった。しかも、空席のある日程は12/30-1/2の二泊四日。結局、500,000円をANAカードで支払ってビジネスクラスに搭乗したのだが、帰りのチェックインの時にアップグレードがかかった。ただ、発想が貧困な私は、アップグレードと言えばエコノミー⇒ビジネスクラスのインボラしか想像ができず、語学力の低さから聞き間違えだと思ってスルーしていた。しかし、当時、最新鋭だったB777-300ERに搭乗すると一番前の席に案内され、それがファーストクラスであることに気づいて気絶しそうになった。恐る恐る搭乗券を見直すと、確かに大きな文字で『F』と書かれていた。東京までの13時間は夢心地だった。それどころか、東京に着かないで欲しいとさえ思った。食後のおやつは、私の大好物である岐阜の川上屋の栗きんとんだったが、ファーストクラスの乗客が3人しかいなかったので、CAさんが、『お好きならどうぞ』と言って、テーブルの上に箱を2つ積んでくれた。

そうだ、機内食や綺麗なCAさんよりも、幸運な偶然に遭遇するために、飛行機でなるべく遠くに飛んでいたのかもしれない。

台北の地下のタクシー乗り場が気持ち良かった件

最近、東南アジアからの帰りは台北の桃園空港着、台北市内で一泊し、翌日、松山空港から羽田空港という経路が多くなっている。理由はいくつかあって、一つは、バンコクジャカルタなどから帰ってくる時、直行便だと6時間を超えるフライトだ。直行便でCクラスに乗れればいいが、所詮は貧者の旅の常としてエコノミー席の利用となるため、膝が痛くなるし、たいそう疲れる。予約時にきっちり非常口席かバルクが押さえられれば別だが、私のFFPのステータスでは100%確保できる、、、という保証がないため、復路の真ん中辺りで一泊して、少しでも体への負担を減らそうという作戦。

二つ目は、東南アジアから日本への距離の真ん中辺りというと台湾か香港になる。他の選択肢として中国本土の広州、アモイもあるが空港としてのサービスが台北や香港と比べて良くないため除外。百歩譲ってマニラも真ん中と言えば真ん中だが、空港のエアラインラウンジが酷いので使いたくない。消去法で残った台湾と香港の空港を私なりの価値観で比べると、パスポートコントロールでスタンプを押してくれない香港は論外。自ずと選択肢は台湾になる。

三つ目は、どうせ一泊するのであれば、美味しいものにありつきたい。香港もいいが、台湾の方が私の好みに合っている上、B級グルメであれば台湾の方が若干リーズナブルな気もする。しかも、私的に海外ご飯史上ベスト3の一つ、滷肉飯がある。ちなみに他の二つは、カオマンガイとカオカームー。

四つ目は、台湾も香港も旅人に親切だけれども、台湾の人は特に親切な上、日本人に対してはとびきり優しい。

さらに最近、桃園空港線MRTが開通し台北市内に出やすくなった。最近まではバスで台北市内にアクセスしていたが、ラッシュアワーにぶつかると、とんでもなく時間がかかってストレスが溜まっていた。しかし、これで時間が読めるようになり、時間がかかるのも、ストレスも解消された。昨年の年末・年始に初めて使用したが、桃園空港から台北駅まで途中、急行に乗り換えて1時間掛からないくらいで到着する上、車内で無料のWi-Fiが使えるので、すこぶる使い勝手がよい。ただ、空港ターミナルから一歩も外に出ずにMRTに乗れるため、ダウンジャケットを着ている地元の人が、半袖Tシャツ1枚の私を不思議そうに見ていることに気が付いた。そう、台北の大晦日の夜だって十分寒いのだ。。。

寒いと気付くと余計に寒く感じるもので、すぐに見つけた滷肉飯屋に飛び込み、滷肉飯と滷油豆腐と滷蛋で腹を満たした後、小さく畳んでバッグに入れていたユニクロのウルトラライトダウンを着て暖かくして、外に出ると 、ようやく奇妙な旅人ではなくなった。そして、その夜に泊るホテルに行くためにタクシーを捕まえようとしたのだが、年末だからか、空車が来ない。空港から到着した地下の台北駅から、ご飯を食べるために外に出る途中、地下階にタクシー乗り場のマークがあったのを思い出して、駅の地下に戻った。それにしても、数年前に買ったユニクロのウルトラライトダウンは本当に素晴らしい。値段は忘れたが、三千円台で買えて、暑い国に行く時にデイバッグに入れてもかさばらないうえ、寒さを凌げるのだ。

台北駅の地下に降りると、タクシー乗り場はすぐに見つかった。タクシー待ちの人が、そこそこ並んでいた。タクシー乗り場は、おばさん(40歳前くらいの人だろうか)が一人でテキパキと切り盛りしていた。タクシーが数分おきにやってきては乗客を乗せて、待ち行列を捌いていた。おばさんは、乗客がたくさん荷物を持っていればトランクに詰めたり、台湾人には台湾語、日本人には日本語、その他の人には英語で声をかけていた。台湾語はわからなかったが、日本語では『気を付けて行ってらっしゃい』と正しい日本語を使っていた。おばさんのテキパキした動作と笑顔が私の台湾のイメージを象徴していた。

私の番が来て、タクシーに乗るとき台湾語で何か言われたが、『判らない』とジェスチャーで応えると、笑いながら『あっ、ごめんなさい。良いお年を』と言ってくれた。台湾で乗り換えて良かった。そして、母に会いたくなった。